白と黒の記憶(14)

  • JAMさん
  • 2015/9/11 16:35:35

私は父とトラックの助手席に乗り、高速道路を走った。荷台には私の机と本棚が載っている。長い時間を掛けて学生アパートに着いた。その日から私の学生生活が始まった。

父母から離れた新天地での生活。この地が私の「在日」の人々の記憶を蘇らせるとは、私も父も知る由もない。

大学に続く大通りから学生アパートに下る路地 に入ると、突然、軒の低い粗末な家並みが一帯に広がる。雨季ともなると低い入り口に雨水が降り込み、土間から居間にジメジメと湿気が這い上がる。貧しい生活環境に私は「在日」の面影を見たのだ。この集落が「被差別部落」と知るのに時間はかからなかった。

私は鉱山町の幼い頃に出会った一人の男性を思い出した。当時、借家の住まい部分の隣は「在日」家族だったが、実は店側の隣に一坪ほどの出店が張り付いていたのだ。注文靴専門の靴屋だった。

店主の男性は毎日バイクで通ってきた。私は「靴屋のおいちゃん」と呼んでいた。丸顔のおいちゃんは広い額の頭髪を後ろになでつけ、いつもチョッキ姿で紳士のようだった。シュッ、シュッ、シュッと靴包丁で革を削り、木型に締め付け、上品な革靴に仕上げていった。床は革クズで埋まっていた。見事な手わざを私は飽かず眺めていた。おいちゃんは手は休めず、思いつくままに話しかけてくれた。暇ができると母の店で寛いでいたが、キャッチボールの相手をしてくれることもあった。

どういう経緯があったのだろう。ある日、母の店で働いていた理髪師の若い女性が彼のことを私に陰口したのだ。幼い私は彼女が口にした言葉の意味が分からなかった。ただ眉をひそめた仕草をいぶかしく思い、やさしい彼を嫌う彼女に反発心をおぼえた。彼女の言葉が差別語だと知ったのは、小学校も上学年になってからだった。そして被差別部落について多くを学ぶのは大学生になってのことだ。

私はこの粗末な家々の集落に、見たことのない靴屋のおいちゃんの住まいを連想したのだ。

学生運動の波は田舎者の私を容赦なく呑み込んだ。当時は国の同和対策事業が始まったばかり。私は高校教師の指導するセツルメント活動に参加した。悔し涙を流して差別をなじる中学生が、懐に切出を忍ばせていた。教師が大声で叱り、諄々と若者の希望を説いていた。私は「在日」の少年が彼と重なった。私と同世代の女の子が教師を手助けしていた。懇談での彼女の言葉が今も心に残っている。「私は(被差別)部落に生まれて良かった。それだけ民主主義を求める気持ちを強く持てるから」

「在日」の人々が折に触れ思い出された。私は北朝鮮との友好団体の取り組みにも参加した。すでに世間では帰還事業の欺瞞について指摘はあったが、私は「北の楽園」の圧倒的な宣伝に感化されていた。

 

 


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