岳父と丈母①

  • JAMさん
  • 2016/11/06 18:49:23

  義父の口癖は、「何を気に病むことがあろう。やましいことをしとらんなら、よかじゃなかか」。気弱な私は何度慰められたことか。
 そのうえ、義母がとびっきりの明るい性格。笑顔で「そうじゃ、そうじゃ」と満面の笑みで合いの手を入れるのだった。
 「おい、君も飲まんか」
 そばを流れる農業用の引き込み河川の清流に自生する川セリを、あふれるほど盛ったすき焼き鍋をつつきながら、義父は私に声を掛けた。
 「はあ…」と私はコップを差し出し、ビールをついでもらう。すき焼きをつつくうちに、ほろ酔い気分になり、私の口も緩んでしまう。
 「でも、特別扱いはおかしい。ぼくは、いやです。子どもたちは同和の対象からはずしたい」
 義父は、ここで、「何を気にすることがあろう」となる。しかし、義父は私の自由な判断を尊重してくれた。

 私達の住む地区は同和地区だ。これは行政用語で、一般には被差別部落、未解放部落と呼ばれる。「被差別」の冠は部落を現代の問題としてとらえた言葉、「未解放」は歴史的に客観的に見た言語か。
 義父はここに生まれ、ここで育ち、商業学校を出て海軍に入隊。戦後、兄妹とこの家で賃仕事に就き、苦労の青年時代を送ったらしい。そして、もっと山手の被差別部落で育った義母を妻に迎え、つましい生活を続けてきた。
 屋根の低い住まいである。軒を重ね合う細い路地の向かい隣は年配夫婦の住む小さな家。その隣に隣保館が立つ。私たちの家の玄関はこの隣保館の広い駐車場と地続きだった。
 住まいのあるこの一角は、国道から急に逸れるように引かれた車一台が通れるだけの「路地」を入ってすぐの所。部落の入り口だ。この路地に沿って農業用水路の川が流れる。
 農業用水路は一級河川の枝流。源流のこの大河は、豊かな清流の流れをいつも見せていた。
 広い河川敷は春ともなるとツクシの宝庫。私は、時間を忘れて幼い長男と摘んで歩いた。それを義母が袴を取って焚いてくれた。
 この本流を治める長い土手と、枝流に挟まれて路地が延び、私たちの住む部落はあった。「中洲」と字名されていた。

 義父は町役場に勤めていた。総務課だった。町内を、なにやら配達にバイクを走らせていた。町の出来事や噂話の真相など、よく知っていた。 一方で、町中に父の一徹ぶり、頑固ぶりも知られていた。
               ◇
 この12月16日、義父の七回忌を迎える。行年83。義父は、世間知らずの私を懐に温かく受け入れ、常識人に育ててくれた。義父との充実した15年の同居生活から、思い出すままに面影を綴ってみたい。介護施設で余生を送る義母のことも併せて。
 
 

 
 



    
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