岳父と丈母(16)

  • JAMさん
  • 2016/11/29 00:08:34

 最後の入院中、帰宅を許された義父は、自宅前の小さな隣家の撤去跡に土を運び込み、懸命に一人でならしていた。
 土地には、夫婦二人が住む小さな家があったが、行政の施策に同意して他の家々と同様に移転し、家屋が取り壊され更地になっていた。その隣にあった2階建ての隣保館もすでになく、わが家の前庭は大きな空間が現れていたのだ。
 義父は肺がんで衰えゆく体力を振り絞り、スコップや鍬をふるい、猫車を押し、小山ほどの土を一人で広げていた。
 
 義父はいったい何を造ろうとしていたのか。
 何を残そうとしていたのか。
 
 私は畑の畦起こしを思い、野菜作りを想像した。
 妻は「花を植えるつもりだったのでは?」と言った。
 うちの家は大河の堤のすぐ下にあった。勝手口と台所と風呂場が、細いあぜ道を挟んで堤に面していた。台風襲来、洪水ともなると義父は、徹夜で土手を警戒していた。その土手に義父は水仙や万両といった花木などを植えていた。風呂場や台所の窓から手を伸ばせば触れる近さにあった。元気一筋で乱暴者とも言える義父だったが、花を愛でるやさしさも持ち合わせていたのだ。それとも、大河の氾濫を鎮める祈りの花壇だったのか。
 
 今、隣の土地は、義父が持ち込んだ小山と、新しい表土は除かれ、元の更地が取り戻されている。公の土地である。行政が勝手な使用を許さないことは、役所の総務職員だった義父自身がよく知っていることだ。
 では、何ぜ、何のための最期の〝仕事〟だったのだろう。何を残そうとしたのだろう。

 義父の日常は起床から就寝まで、時を刻むように規則正しかった。朝5時起床、猟犬の世話、出勤、一時帰宅し昼食、昼寝、再出勤、帰宅、そして8時ごろには就寝。
 いつものように猟犬を訓練して、うまいサクラを腹いっぱい食って、いつものように花を咲かせて、いつものように巨人軍が勝って、いつものように、いつものように――。
 義父は、兄妹力を合わせ、日常生活を通じて貧乏から脱し、自分の人生を自由に生きるすべを手にしたのだ。自分が自ら手にした日常を自由に生き、充実させ、しっかりと、いつものように生きる。
 精一杯働き、精一杯人々と交流し、日常を通じて自身の「解放」をやり遂げていた義父である。いつもの暮らしを続けることが解放の姿だった。
  
 その「いつものように」が、不治の病で不可能になったのだ。
 義父の土ならし、畦起こしは「いつものように」を取り戻す最後の大仕事。日常を取り戻したい、解放を取り戻したい一心の、義父の解放運動だったのではないか。
                  ◇                
 おやじさん、「解放の道」が一筋見えてきたようです。 
 

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