log.no.57 沖縄平和行進2

  • 長崎カルチャー山の会
  • 2010/6/07 21:50:40

復帰38年 

第33回 沖縄 2010年5月15日  平和行進

 

日程表

5月13日 南部戦跡ミニツアー 糸数壕(アブチラガマ)

      全国結団式

      歓迎夕食会

5月14日 平和行進(18km)南部コース(平和記念公園→南城市→南風原町)

      長崎県代表団交流会

5月15日 平和行進(11km)浦添市→嘉数高台

      県民大会(宜野湾市海浜公園)

5月16日 普天間基地包囲行動(出発集会→デモ行進→包囲行動3回)

 

上記の日程で 平和行進に参加しました。

 

14日から16日まではどしゃぶり、特に16日は、土砂災害警報が発令される中での包囲活動でした。長崎県代表団参加者は若い人が多く、長崎フォーラムはリタイヤ組なので、平和行進は大変ハードなものでした。事前の歩行訓練が必要だと思います。(若い人も、行進中のシュプレヒコールで声も出せないほど)

6歳の男の子と、女の子の参加者は完歩。

 

1972年5月15日どしゃぶりの雨の中、米軍統治下にあった沖縄が、沖縄県民の強い復帰行動により、日本に返還された。しかしながら基地付き、核密約付きで。

日本国土面積のわずか0.6%に日本に駐留する米軍基地の75%が沖縄に集中する。

基地から派生する事件や事故はあとを絶たず、演習の激化、爆音公害など危険にさらされている。

この間、反基地闘争が取り組まれてきました。

 

沖縄は熱い、と 歓迎挨拶。だが土砂降り。カッパの準備をしていない人が多数。ビニールがっぱで何とかしのいでいたが、かっぱが売り切れ状態。(移動途中にコンビニで買う人も) 私は、常に準備せよ、の格言どおり。

 

沖縄の実態(基地や爆音)を感じてこようと思い、参加しましたが、南部コースは戦跡を巡るコースでしたので、爆音を体験することは難しいと思っていましたが、15日14時30分、普天間基地周囲の住宅街を平和行進している時に、突然、経験したことのない爆音が始まり、いったい何が起こったのか解らなくて、周囲を見回しましたが爆音が聞こえるだけ、、、、。

 

次の瞬間、ジェット戦闘機が真上を通過し普天間基地へ。5分後にも又。「世界一危険な米軍基地」ということを実感しました。(嘉手納基地は、ものすごいらしい。シュプレヒコールでも、嘉手納の爆音をやめろ、というのがあったほどだから)

 

平和行進では、交通整理の警官は、デモ隊の前後だけに配置。沖縄の現地実行委員会の

交通整理員がトランシーバーをつけデモ隊を整然と導く。信号機があってもデモ隊の分断はなく整然と隊列は続く。3日間の平和行進中、不満を現すドライバーは1台だけ。青信号でも進まない車列。じっと待ってくれている。民家の人達は こちらが手を振ると答えてくれる。

ある小学校で14時30分頃、授業中であろうが、校門のところで、生徒や先生が歓迎する横断幕を抱え、手を振って迎えてくれました。長崎だと処分ものだろう。

 平和行進中に民家の様子を見ていたら、木造家屋は殆ど見あたらない。コンクリートの

家ばかり。あったと思ったら 空屋。(台風予防だろう)

 

日程経過報告

 

13日7時20分 長崎空港集合 若い人ばかり(36人)。知り合いは二人だけ。

予定より80分遅れて長崎空港離陸(9時30分)。緊張、久しぶりの飛行機。

10時46分着陸(770km?)

遅れて到着のため、ミニツアーも短縮。ひめゆり平和資料館はパス。糸数壕に。

アブチラガマと言われる。軍人病院として1000人程が壕の中にいたという。民間人は壕の入り口の所に配置され、人間の盾に。泣く子は黙らせろ(殺せ)、と兵隊。米軍は鬼畜と教育され 降伏すると強姦され殺されると。外に出るとスパイだと、後ろから兵隊に射殺されたと。

 

沖縄中部に上陸した米軍に追われ 日本軍は南部に逃れ、南部の民間人は

     巻き込まれて悲惨な思いをしたとのこと。沖縄戦で2   0万人が死亡。

     

(時間が迫り、移動中にバス内で弁当、きつかった)

    

14時30分~ 第33回 平和行進 全国結団式(県立武道館アリーナ)

    18時30分~ 歓迎夕食会 立食バイキング。参加各県の決意表明。

 

                    4人部屋 鼾に悩む

 

14日9時2分 平和公園(平和の礎がある)で、南部コース出発集会 雨がひどい。

   9時15分 出発 平和行進開始 シュプレヒコールを繰り返しながら、ひたすら

      歩く。午前と午後に休憩がある。公民館や体育館などで、町職労の組合員がお茶、飴などを多く準備して頂いた。暑さ対策で冷たいお茶やジュースなど大量に準備して頂いたが、大雨のため身体が冷えて、それらのものは多く残ることになり、あとが大変だっただろう。昼は弁当。レインスーツのまま食べる。休憩時はトイレに長蛇の列。出発が遅れる事態も発生。

10時30分八重瀬町具志頭社会体育館 休憩 給水 トイレに長蛇。

12時15分 南城市中央公民館 昼食休憩 トイレに長蛇。

       雨の中 平和行進

14時40分 大里農村環境センター 休憩 トイレに長蛇。

       雨の中 平和行進

15時45分 南風原町文化センター到着 南風原町長の歓迎挨拶。

 

19時~ 長崎県代表団夕食交流会(場所 寿々にて) 自己紹介や決意など。

 

                          4人部屋 明け方まで鼾

 

15日8時30分 浦添市役所前 出発式 地元の子供達による歓迎のシーサー太鼓。

   9時 平和行進2日目 出発  雨。

   10時30分 西原町鏡が丘特別支援学校グランド 休憩 トイレに長蛇。

   11時55分 嘉数高台公園到着 不思議に雨が止む。公園の広場で昼食弁当。

          山頂の展望台から普天間基地が見えるというので、155段?の

          階段を上る。(膝が痛いのに)遠くに基地が見える。ニュースで観る画像だ。時事通信社の取材を受ける。

   13時20分 出発 雨が降り出す。

   14時30分 普天間基地周辺住宅街を行進中 経験したことが無い爆音に何が起こったのか解らずうろたえた。次の瞬間頭上を戦闘機が通過。

          沖縄の現実。 その5分後にも又。

   15時 森川公園 休憩 給水 飴 町職労の方に感謝、 トイレに長蛇。

   16時30分~17時30分 宜野湾市海浜公園屋外劇場 

          5.15平和とくらしを守る県民大会(主催 平和センター実行委員会) どしゃぶり。38年前の沖縄返還時も どしゃぶりだったと 挨拶で。3800人参加とのこと。平和行進2日間で延べ5000人参加と報告あり。 コンクリートの椅子に座っているとレインスーツでも尻に雨がしみ込んでくる。冷えて震えている人も。

          

             ホテル 4人部屋 広い 2人部屋がふたつ。鼾からの解放

             3泊したホテル 大浴場がない。冷えた身体も順番の入浴。

             夕食 横殴りの雨が降っている。

 

16日11時ホテル出発 大雨 土砂災害警報発令

   11時30分 宜野湾市海浜公園屋外劇場到着 昼食弁当の予定だったが手違いで弁当が500個不足で 昼食抜き。昨日までに頂いた飴を配った。

   12時15分~45分 出発集会

         デモ行進しながら普天間基地に向かう。デモ隊の間隔を空けないために、途中、走れ、と 交通整理員の指示。だって膝が痛いのに。道路の溝から水が溢れ出ている中行進。

14時 14時30分 15時の3回 長崎隊は宜野湾市大山2丁目付近で包囲行動。ウエーブの練習をしたり コンビニでトイレや昼食抜きだったのでそばを食べたり。人間の鎖で13kmを包囲実行。成功。新聞報道で17000人が参加したと。3日間の行動終了

16時 バスで那覇空港に向け出発

16時30分 那覇空港到着 19時45分まで自由行動 といっても空港内で

      夕食とお店見物で時間をつぶす。

19時55分 大雨の中 10分遅れで那覇空港離陸。

21時10分 予定どおり 長崎空港到着。

22時40分 自宅着。

 

ハードな3泊4日だった。初めての沖縄。熱いはずの沖縄で雨に打たれ ホテルでは暖房のスイッチを入れ ずぶぬれの靴や服、鉢巻、ゼッケンなどを乾かす。

 

沖縄戦跡の体験 珊瑚礁の隆起で造られた沖縄 壕が多数ありこの中に多くの人が籠もったという。轟音の初体感。

沖縄を返せの歌は

♪沖縄を返せ 沖縄を返せ♪ の歌詞が ♪沖縄を返せ 沖縄返せ♪ と 替えて歌われている。

 

 鳩山首相が15日に沖縄再訪問を計画 祝いの日と思っていたとか。変更。

沖縄の人は 38年前に返還されたとき 基地も核もない沖縄を望んだが 基地も核密約付きの沖縄だった。その怒りを表す5.15集会の日に首相が来るのを歓迎されるはずもなく ましてや沖縄に新たな基地を造るというのだから、なにをかいわんだろう。

 

基地のない沖縄を願って。

                 
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