連帯する世の中を

  • 堤 理志
  • 2009/1/12 21:14:58

長崎市(夜景)

長崎港(夜景)

正月は久しぶりに両親、弟の家族と揃っての正月をむかえました。みんなで稲佐山に行って夜景を眺めました。
この一つ一つの光の元でみんな助け合って、支え合って生活をしているのです。

以前、正月に「おめでとうございます」と言うその「おめでとう」の意味がわかりませんでした。
しかし、職を辞して町議になり、収入が激減し、自分自身と家族がギリギリの生活をするようになって、無事に一年を迎えることができた。生きることができたという「ありがたみ」を肌で感じることができるようになりました。

一方、今回の年末年始は、仕事も住まいも奪われてしまった大勢の人たちが存在したことを、しっかりと自分の脳裏に刻んでおきたいと感じました。

「格差が広がることは別に悪いことではない」

・・・こう言い放った当時の小泉総理の元で、マスコミまで動員しての弱肉強食の構造改革路線を応援する風潮の元で、ずいぶん「自己責任」という言葉がもてはやされ、社会は殺伐としていたと思います。

公務員と民間、生産に従事する年齢層と高齢者層、正社員と非正規労働者など、労働者、勤労者層の中に対立と分断を招くような風潮が持ち込まれました。

しかし昨年あたりから、構造改革=新自由主義路線の過ちが誰の目にも明らかになり、年末年始、住む家を奪われた派遣労働者たちを救おうと立ち上げられた派遣村やそこに集まった人たちに対し、あたたかい目を向ける世論、連帯する心が社会の中に増えてきたような気がします。

こうした連帯する心こそが人間の本当の姿ではないでしょうか。今年は連帯する世の中がもっと進むことを願ってやみません。

「世の中の仕組みや出来事で理解不能な事に出逢った場合、その仕組みで誰が得をするのかを考えることが、疑問を解くヒントになる」

・・・私が二十歳頃、独学で政治や社会の勉強をしていた時に、ある本に書いてありました。

国民の中、とりわけ労働者の中に対立と分断を持ち込むことで誰が得をするのか、働く仲間同士が連帯しあうことが誰にとって不都合なのか・・・。

答えは明瞭だと思います。
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