ブラジルの作家パウロ・コエーリョの『アルケミスト 夢を旅した少年』という小説の中で主人公の少年(結局、最後まで彼は名前を与えられていない。それはそのことによって物語の普遍性を示しているのだろうと思われる)をエジプトへ導く師である錬金術師(すべての物質を金に変えることが出来る力を持つと信じられた)が、旅の終わりに少年に語る言葉がこころに残ります。
それは
「何をしていようとも、この地上のすべての人は、世界の歴史の中で中心的な役割を演じている。そして、普通はそれを知らないのだ」
というもの。
矮小な例えかもしれませんが私が合唱をする上で団員が埋没してはいけないと常々思っていて、それぞれの団員はそれぞれの事情を持ち、それぞれのモチベーションを持って合唱団に所属し、歌っている。
表に名前が出るのは指揮者だったり伴奏者だったり時にはソリストだったりだけれども、名前の出ることのない合唱団員であっても決して「その他大勢」ではないのです。これは声がいいとか歌がうまいとかとはまったく無関係で、まさしく自分が主人公として歌うべきだと思っています。

1988年に出された『アルケミスト』は世界中でベストセラーになったらしいのですが短いけれど珠玉の言葉に満ちていて、「星の王子様」のように何度も読み返したくなります。
 これは、とても素敵な本。


さて、万城目学氏の『悟浄出立』はいわば荒唐無稽な状況設定から巻き起こる痛快な物語が多かったこれまでの万城目作品とは趣がガラリと変わっています。
もちろん、『鴨川ホルモー』(かならずモルホーと間違える)も『鹿男あをによし』も『プリンセス・トヨトミ』も『偉大なるしゅららぼん』(かならずしゅらららぽんと間違える)も大好きではありますが。

砂漠の中、悟浄は隊列の一番後ろを歩いていた。どうして俺はいつも、他の奴らの活躍を横目で見ているだけなんだ? でもある出来事をきっかけに、彼の心がほんの少し動き始める――。西遊記の沙悟浄、三国志の趙雲、司馬遷に見向きもされないその娘。中国の古典に現れる脇役たちに焦点を当て、人生の見方まで変えてしまう連作集。

所謂「主人公」ではない人物(沙悟浄を人物と呼んでいいかは少し疑問ですが)たちが「主人公」として、しかし大活躍するわけでもなく、自らが置かれた立場や意味を問いかける。
そのテイストは中島敦や芥川龍之介作品をも彷彿とさせてくれて、読み終えたときに僕は胸の内で拍手しました。
さて、万城目学氏の『悟浄出立』はいわば荒唐無稽な状況設定から巻き起こる痛快な物語が多かったこれまでの万城目作品とは趣がガラリと変わっています。

僕が勘違いしていて悟浄をめぐる長編かと思っていたらそうではなく、三国志に出てくる蜀の将軍趙雲、秦王朝の始皇帝暗殺を企てた燕の使者荊軻と同じ読み名の役人京科、「四面楚歌」で有名な楚の項羽の愛人である虞美人、王の怒りを買い宮刑に処されて廃人同様となって戻ってきた父司馬遷の娘、など各編の主人公たちは所謂歴史の主役たちではありません。
猪八戒の正体というのを知ったのも驚きでしたが、虞美人の死に新たな解釈を加えた『虞姫寂静』がなかなか好きだな。

その人の置かれた立場、その状況で生きていくこと、それを宿命と呼ぶのだろうけれど、悟浄はそこから一歩踏み出そうと歩き始める。
司馬遷の娘は偉大なるがゆえに畏怖の対象でしかなかった父親の変わり果てた姿の中に真の父の偉大さを見出す。そして男児だけを認めて女児を無視してきた父は娘の胸の中の強靭な魂を知って、また変わり始める・・・。

もちろん多くの作家が「名もなき人」にスポットを当てた名作を送り出すわけですが万城目氏がその仲間入りしたことをこの本は証明してとても嬉しくなったのでした。



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